畑に悪いものがあれば、それを取り除くのが一般的な農業でしょう。しかし、聖書が語るのは、それを取り除く際に良いものも傷つけてしまうかもしれないから、収穫までそれをしないと語るのです。
すなわち、終わりの時に全て明らかになるから、良い者も悪い者もそのままにしておくと語っているのです。そう言われると、自分がどっちなんだろうかと不安になるのが私たちです。
しかし、主は私たちを徹底的に救おうとして下さるのです。それこそ、十字架で命を捧げてまで。
そういう意味では、「自分は悪い者かも」と思うところに、罪があるのでしょう。この私を救ってくださるはずだと信頼すること、それが求められているのです。
あなたは、「良い者」なのです。